モネやルノワールが筆触分割という技法を使って絵を描いていたことを前回書きました。
これが更に時代が進むと、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックという画家が出てきます。
この人たちは「点描画」をやり始めました。
スーラの代表作『グランドジャット島の日曜日の午後』
これもどこかで見たことがあるかもしれない非常に有名な作品です。
この絵の大きさ、なんと207.6cm × 308cm どんだけ点打たなきゃならないのか。。。
ある評論家がスーラたちを、これは革新的だ!と「新印象主義」と呼びました。
筆触分割は筆の跡が残っているので、どのように色をぬったのかわかりますが、点描は色の点だけで絵を描いています。大変(汗)
この人たちの点描の何が”新”印象主義なのかというと、シュヴルールの理論を更に発展させていったのです。当時はどんどん色彩理論が発展してきて、スーラはこの科学理論をめちゃめちゃ研究しました。実はスーラとシニャックはモネやルノワールより超超理論派画家なんです。
そしてこの作品、実物はモネよりさらにやたら明るい絵。
この点、ただの点ではなく、なんと点の打ち方にルールがあります。
画面がやたら明るいのはそれが理由です。
どんなふうに点を打ったかというと。
色の三原色は赤と青と黄。赤と青を混ぜると紫、青と黄を混ぜると緑、黄と赤を混ぜると橙となります。色は混ぜれば混ぜるほど暗くなり黒に近づきどんどん暗くなっていきます。これを「減色混合」といいます。
光の三原色は赤と青と緑。色は合わせれば合わせるほど白に近づきどんどん明るくなっていきます。こちらは「加色混合」といいます。
緑と赤は補色(反対色)関係で緑を見てからすぐ赤を見ると緑の残像の上に赤が見えて目の中で加色混合を起こすようになります。
つまり目の錯覚によって画面を明るく見せたのです。
この理論を利用して、わざと補色関係の色を並べて効果的に入れることによって目の錯覚により明るく見えるようにしました。
印象派の筆触分割は配色理論をベースにはしていますが、対象物を描くときには画家の直感や感性をもとに色をのせていっているので、青や緑の色ののせ方はその時々により違うし、わざと筆跡を残すように描いているのに対して、スーラの行った点描は完全理論。
色彩理論を推し進め、それをベースにしているので筆跡は無し、ルールにしたがって点を打つ。大量に。超大量に。超超大量に(^_^;)(汗)
スーラ自身はこの表現技法を「クロモルミノリスム(色彩発光主義)」とか「ポワンティリスム(点描)」と言っています。
ピサロはこの表現を「新しい!」と絶賛して、自分も取り入れますが、モネやルノワールは「ありえない!」と大激怒。
筆触分割に似ている点描なのに、なんでそんなに2人は怒ったのか?
モネやルノワールはリアルな光の移ろいを描いたのに対して、「この絵はなんだか不自然だ」といったのです。確かに。
モネの「散歩、日傘をさす女」は昼(朝?)の光と日傘の陰、風が吹いている感じ、草が揺れてカサカサと音も聞こえるような雰囲気が出ています。
対して、スーラのは妙に明るすぎ、妙に不自然な人物たち。まるで時がピタッと止まったかのような静止感。
これが点描の最大の弱点でした。動きが出ないんです。
(点打つの大変でものすごい時間がかかるのもデメリットとしてありますが)
スーラもシニャックもそこに気づいていて何とか動かそうとします。↓
でも、うーん。。やっぱり厳しいかな。
どっちが動いているように見えるかは一目瞭然です。
それでもピサロは激推しして、第8回印象派展にスーラとシニャックを参加させます。激怒したモネ、ルノワール、シスレー、カイユボットは不参加。モメにモメて印象派展は第8回で終わってしまいます。
スーラはある意味、印象派を終わらせた人とも言えます。
でも、時代はこちらの方向でした。
ここから更に絵画はどんどん発展して現代美術へと突入していきます。