hiro_ame’s blog

美術マニアで科学と宗教を学ぶのが大好きな絵描き。

印象派とは ④色彩理論 新印象主義

モネやルノワールが筆触分割という技法を使って絵を描いていたことを前回書きました。

 

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これが更に時代が進むと、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックという画家が出てきます。

この人たちは「点描画」をやり始めました。



スーラの代表作『グランドジャット島の日曜日の午後』

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これもどこかで見たことがあるかもしれない非常に有名な作品です。

この絵の大きさ、なんと207.6cm × 308cm どんだけ点打たなきゃならないのか。。。

 

ある評論家がスーラたちを、これは革新的だ!と「新印象主義」と呼びました。

筆触分割は筆の跡が残っているので、どのように色をぬったのかわかりますが、点描は色の点だけで絵を描いています。大変(汗)

この人たちの点描の何が”新”印象主義なのかというと、シュヴルールの理論を更に発展させていったのです。当時はどんどん色彩理論が発展してきて、スーラはこの科学理論をめちゃめちゃ研究しました。実はスーラとシニャックはモネやルノワールより超超理論派画家なんです。

 

そしてこの作品、実物はモネよりさらにやたら明るい絵。

 

この点、ただの点ではなく、なんと点の打ち方にルールがあります。

画面がやたら明るいのはそれが理由です。

どんなふうに点を打ったかというと。

 

色の三原色は赤と青と黄。赤と青を混ぜると紫、青と黄を混ぜると緑、黄と赤を混ぜると橙となります。色は混ぜれば混ぜるほど暗くなり黒に近づきどんどん暗くなっていきます。これを「減色混合」といいます。

光の三原色は赤と青と緑。色は合わせれば合わせるほど白に近づきどんどん明るくなっていきます。こちらは「加色混合」といいます。

(左)減色混合 (右)加色混合

 

緑と赤は補色(反対色)関係で緑を見てからすぐ赤を見ると緑の残像の上に赤が見えて目の中で加色混合を起こすようになります。

つまり目の錯覚によって画面を明るく見せたのです。

この理論を利用して、わざと補色関係の色を並べて効果的に入れることによって目の錯覚により明るく見えるようにしました。

 

印象派の筆触分割は配色理論をベースにはしていますが、対象物を描くときには画家の直感や感性をもとに色をのせていっているので、青や緑の色ののせ方はその時々により違うし、わざと筆跡を残すように描いているのに対して、スーラの行った点描は完全理論。

色彩理論を推し進め、それをベースにしているので筆跡は無し、ルールにしたがって点を打つ。大量に。超大量に。超超大量に(^_^;)(汗)

スーラ自身はこの表現技法を「クロモルミノリスム(色彩発光主義)」とか「ポワンティリスム(点描)」と言っています。

ピサロはこの表現を「新しい!」と絶賛して、自分も取り入れますが、モネやルノワールは「ありえない!」と大激怒。

 

筆触分割に似ている点描なのに、なんでそんなに2人は怒ったのか?

モネやルノワールはリアルな光の移ろいを描いたのに対して、「この絵はなんだか不自然だ」といったのです。確かに。

 

モネの「散歩、日傘をさす女」は昼(朝?)の光と日傘の陰、風が吹いている感じ、草が揺れてカサカサと音も聞こえるような雰囲気が出ています。

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対して、スーラのは妙に明るすぎ、妙に不自然な人物たち。まるで時がピタッと止まったかのような静止感。

これが点描の最大の弱点でした。動きが出ないんです。

(点打つの大変でものすごい時間がかかるのもデメリットとしてありますが)

スーラもシニャックもそこに気づいていて何とか動かそうとします。↓

でも、うーん。。やっぱり厳しいかな。

ジョルジュ・スーラ『サーカス』 from wikimediacommons

どっちが動いているように見えるかは一目瞭然です。

 

それでもピサロは激推しして、第8回印象派展にスーラとシニャックを参加させます。激怒したモネ、ルノワールシスレー、カイユボットは不参加。モメにモメて印象派展は第8回で終わってしまいます。

スーラはある意味、印象派を終わらせた人とも言えます。

 

でも、時代はこちらの方向でした。

ここから更に絵画はどんどん発展して現代美術へと突入していきます。

 

印象派とは ③筆触分割 色彩理論

前回書いた、モネとルノワールが追及した「筆触分割」という技法についての続きです。

これは「色彩分割」や「視覚混合」などとも言われています。

 

これは、葉っぱを描くときに緑を塗るのではなく青と黄色を隣同士に塗って遠巻きに眺めることで眼が錯覚を起こして緑っぽく見える。というもの。

なぜこんなことをするかというと、基本的に絵具の色を混ぜると彩度が下がって色が濁って暗っぽく見えます。そうすると作品全体が暗めになってしまいます。

モネやルノワールはより自然の明るい光を表現するためにはどうするかを試行錯誤しました。そしてなるべく色を混ぜずに単色でキャンバスにそれぞれ色を乗せることで眼の錯覚を利用して、朝や昼の明るい光を表現しようとしたのです。

 

これまでのアカデミーの先生が教えるグラデーションで滑らかに描く方法と比べて、とても粗い描き方になりるが、色を混ぜないことで眼の錯覚により明るい画面になること、また、鮮明に描かなくとも人の脳はこれが葉っぱや人物などとちゃんと認識できること。これによってリアルな情景や人物の感じを表現したのです。

クロード・モネ『散歩、日傘をさす女性』 from wikimediacommons

ちなみに、画像で絵を見るとわかりずらいですが、本物を遠くから見るとモネのこの作品も非常に雰囲気が出ていて全然見え方が変わります。(やっぱり絵は本物を見てほしい!)

 

 

こう見ると、実は印象派って感性一発で描いてるんじゃなくて結構理論的なんだなと思いますが、これは2人が初めてやり始めたというわけではなく、先人たちがいろいろとヒントを与えてくれてました。

 

まず、ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールという化学者が「色彩の同時対比の法則とこの法則に基づく配色について」という本を出しました。これは似たような色同士の調和や対比となる色の場合の調和などについての理論です。実はモネやルノワール、それ以降の画家たちは結構この理論をベースに絵を描いています。

 

そして、ウィリアム・ターナーの影響。

若きモネ、ピサロシスレーはイギリスに行って超大画家ターナーの作品を見ています。

この人は印象派より前の時代の人でお札にもなったイギリスの風景画家。どんなのを描いているかというと。

 

ウィリアム・ターナー『ノラム城・日の出』

これはどう見ても、モネが『印象・日の出』を描くのに参考にしてます。

(左)『ノラム城・日の出』(右)『印象・日の出』 from wikimediacommons

 

さらに、ターナーはこんなこんなものまで描いてます。

ウィリアム・ターナー『雨、蒸気、そして速度-グレート・ウェスタン鉄道』

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雨や蒸気などの物質どころかスピードまで絵にしちゃいました。

もうちょっと抽象画っぽい。

これを見るとだいぶぶっ飛んだ作品をターナーは描いてます。

 

フランスではモネが『印象・日の出』を描いて、「描きかけの壁紙よりも酷い」と酷評されたのに、その30年も前にイギリスでこんな絵が認められていました。

実はターナーゲーテの色彩論に興味を持って絵の参考にしていました。(なんと詩人ゲーテは科学者の側面があったんです)

モネやピサロターナーを研究していたようです。シスレーに至ってはほぼターナーみたいな作品も描いてます。

 

また、先輩画家ヨハン・ヨンキントやウジェーヌ・ブーダンも筆触分割的な風景画を描いており、特に若い頃のモネは直接2人から戸外制作をすることなどアドバイスをもらったりしています。

作品をみると明らかに印象派っぽい。

ヨハン・ヨンキント『月明かりの下のオーヴァーシー』 from wikimediacommons

ウジェーヌ・ブータン『トルヴィル=シュル=メールの浜』 from wikimediacommons



こうやってシュヴルールの理論やターナー、ヨンキント、ブーダンを参考に「筆触分割」を展開して明るい光を描くようになっていきます。

 

そして、時代は進み、「新印象主義」が登場します。

印象派とは ②筆触分割 モネとルノワール

最初から余談ですが、「印象派」の定義はなかなか難しいんじゃないかと個人的には思います。

 

定義1.印象派の展覧会を開催したメインメンバー

個人的にはこれが一番近い定義かなと思います。

印象派展は第1回~第8回まで開催しましたが、実は第一回の出品者だけでもなんと30名もいました。ウジェーヌ・ブーダンゴーギャンオディロン・ルドンなどとても印象派っぽくない人も実はいっぱい参加していました。

そのためメインで主催した、モネやピサロドガなどがそれにあたります。でも後半の何回かはドガともめてルノワールやモネ、シスレーは参加していません。

 

定義2.筆触分割

印象派っぽい作品というと「筆触分割」という技法を試したモネ、ルノワールピサロシスレーなどがそうですが、印象派展に非常に尽力したカイユボットは全然筆触分割を使ってません。

 

しかも、第8回印象派展になってくると、スーラやシニャックなど「新印象主義」などと言われる人たちも出てきて、もう何が何やら。

 

ということで前回、印象派展の始まりについて書いたので、今回は印象派っぽい技法「筆触分割」について。

 

前回の話はこちら

 

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モネやルノワールの作品を見ると「ザ・印象派」という作品

例えば、ルノワールの『習作(陽光の中の裸婦)』やモネの『積みわら』など

オーギュスト・ルノワール『習作(陽光の中の裸婦)』from wikimediacommons

クロード・モネ『積みわら、日没』 from wikimediacommons



例えば、木や葉っぱを描く時に緑色を使います。その時に青と黄色を混ぜて緑にするより、青と黄色を隣り合わせで色をのせる。それを遠くから見ると、目が錯覚を起こして緑に見える。

だから、色を混ぜて使うより、赤、青、黄色などチューブから出る色をそのままキャンバスにのせることで緑っぽく見せる。

 

なんでこんなまどろっこしいことをするかというと、実は、リアルな絵を描くと分かりますが、葉っぱを描くのに緑だけ塗ってても、全然リアルな葉っぱっぽく見えないんです。一緒に黄色や青(他の色も)をうまくのせると、葉っぱに写る光の反射や影などが出てきて葉っぱっぽく見えるようになってきます。

人間の影は黒だけじゃなく、青も赤も紫も黄色も入ってる(ここまでくると心の目で見ることにもなってきますが)それをキャンバスにチューブの色そのまま乗せる。

 

それまでは、綺麗な滑らかな肌を描くために光や影を色のグラデーションで描いていました。

そうやってグラデーションで描くのではなくその区画区画で色を変えて塗っていく。

これが「筆触分割」という技法です。

黄色、青を隣同士の区画で塗って緑に見せる。今のPCで見る画像のビットマップや出力プリンターと同じ手法です。

 

ルノワールの『習作(陽光の中の裸婦)』はまさにそんな絵

ルノワールの肌の色も影もいろんな色が混ざってます。そうすると、木漏れ日の下にいる女性っぽく見えませんか?

前回のブログで霜の「感じ」や海景の「雰囲気」がでているというのはこういうことなんです。「っぽく見える」

こうすることによって、朝の木漏れ日の光の感じ、昼の光の感じ、夜の光の感じなど、「光の移り変わり」が描けるようになるのです。

だから印象派の画家たちはアトリエで描くのではなく、外に出て、外の光を見ながら描いたのです。

モネとルノワールはこの筆触分割を2人で研究していきます。

 

ちなみに、外で絵が描けるようになったのはこの頃です。チューブ入り絵具が発明から。それまではアトリエで絵具を自分で作ってたので、外に持ち出せなかったんです。

そのあたりについては↓で書いてます。

 

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ところが、ルノワールの『習作(陽光の中の裸婦)』を出品したら、「肌に紫斑が出ている。死んでるのか?」と批判されました。

。。。。まあ、確かにそうも見えますかね。。

 

女性の肌といったら、カバネルのこんな絵が「正解」だと思ってる人たちからしたら、そうなりますね。

アレキサンンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生

 

でもこれを見てもわかるように、カバネルのヴィーナスはとても綺麗だけど理想的過ぎて、ちょっとリアル感がない(悪いわけではないんですが)。

健康的な太陽の光を感じる女性といったらルノワールのほうがよくないですか?

 

でも、当時のフランスでは全然受け入れてもらえませんでした。絵はなかなか売れず生活は貧しいばかり。結局ルノワールは筆触分割を諦めます。

悲しいことに、筆触分割をやめた肖像画を描いたら売れ始めました。

 

それに対してモネは筆触分割を貫きました。そして、根気強く描き続け受け入れられてきたのです。

晩年に超大量に描いた『睡蓮』シリーズなんて、まさに筆触分割の極地です。

モネの作品をリアルにみるとわかりますが、近くに寄ってみると、色を雑にベタベタ塗っているだけで何が描かれてるか全っ然わかりません。

これが面白いことに、後ろに下がって離れて行けば行くほど、非常に綺麗な睡蓮の情景が見えてきます。人間の目と脳の錯覚がなせる業ですが、モネの眼はいったいどうなってるんだ!?と言いたい。とにかく美しい睡蓮です。

クロード・モネ『睡蓮』 from wikimediacommons

 

ルノワールも続けていれば受け入れられるようになったかもしれませんが、そもそも筆触分割が合わなかったのかもしれません。

モネとルノワールの作品たちをみるとわかりますが、モネは風景が描きたい人、ルノワールは人物を描きたい人なんです。

筆触分割は風景のほうが合ってるのかもしれません。

モネとルノワールが同じ風景を描いた初期の頃の作品があります。

(左)モネ『ラ・グルヌイエール』(右)ルノワール『ラ・グルヌイエール』 
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これを見ると明らかに、2人が一番力を入れて描いてるのは、モネは水に映りこむ光の加減、ルノワールは人物。モネの人物は明らかに風景の一部です。これを見比べるとやっぱりモネのほうが水の感じが雰囲気出てて綺麗に見えます。

もしかしたらルノワールは気づいちゃったのかもしれませんね。「あ、筆触分割は人物に向かないかも。。。」特に人物の肌には向かないのかもしれません。

人物には使わずに、背景や他の物にだけ使うハイブリッドにすると受け入れられました。印象派に影響を受けた後の画家もハイブリッド方式を使っている人も結構います。

 

この筆触分割は次世代で更に発展していきます。

長くなってきたので続きは次回

 

印象派とは ①第一回印象派展

印象派とは1800年代後半に若い画家たちが立ち上げた美術サークルです。

 

主なメンバーはカミーユピサロクロード・モネオーギュスト・ルノワールエドガー・ドガベルト・モリゾアルフレッド・シスレーポール・セザンヌ

当時画家として成功するためには美術アカデミーで勉強して、アカデミーが主催する展覧会(サロン)に出品して認められて賞をとることが登竜門となっていました。

アカデミーで認められるには、「歴史画」といって聖書や神話の話をテーマにして、筆跡が残らない非常に綺麗なプロポーションの理想的な人物を描くことが「良い」とされていました。

 

例えば、こんな絵

アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生

印象派と同時期の作品。この作品はサロンで大絶賛されました。

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それ以外の他のテーマや筆跡が少しでも残ってるような絵は格式が劣っていて、未完成だと言われていたのです。

 

ところが、印象派ができる少し前から、このサロンの風潮に「それはおかしいんじゃないか」と言い出す人が増えてきてました。もっと今のありのままの人の暮らしや、時代の風潮を描いていこうよなど、「歴史画」至上主義に対立する作品が出始めました。

それが、写実主義ロマン主義バルビゾン派、イギリスではラファエロ前派オーストリアではウィーン分離派など印象派以前も以降もアカデミーに反旗を翻す若者が〇〇派を立ち上げます。

印象派も反アカデミー派の一派でした。

 

反アカデミー派の先輩のエドゥアール・マネはアカデミーに殴りこむような作品をサロンに出して、印象派メンバーに慕われたり、ギュスターヴ・クールベはサロンに認められなくても自分で展覧会を開いたりして、活動するのをみて、自分たちも先輩たちに続けとばかりに、自分たちの独自の画風で自分たちで展覧会を開きます。

 

その時出した作品がモネ『印象・日の出』やピサロ『白い霜』など

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そうしたら、見に来てくれたルイ・ルロワという美術評論家が、新聞にこの展覧会の様子を記事にしてくれました。

その内容が「描きかけの壁紙よりも酷い、こんなのただの印象だけだ」

そりゃそうですよね。カバネルのような絵が「正解」なのに、これらの絵は誰が見たって製作途中の完成してないひどい絵です。

ピサロの『白い霜』は「パレットの削りかすをまいただけ」

油絵をやったことがない人にはちょっと想像しにくいかもしれませんが、白い絵の具が固まったカス(消しゴムカスみたいなの)をキャンバスに撒いただけと言っています。油絵をやっている筆者は「確かにカスっぽい。。」と思いました。

個人的には結構的を得た感想してるんだなという印象です。

 

印象派どころか後の時代のピカソ抽象絵画なんかも知ってる現代人からしたらよくわからない感覚かもしれませんが、最初に言ったようにカバネルの絵が「正解」だとして見ると、ルイ・ルロワの批判は結構的を得てます。

 

一般的には、この酷評記事の「ただの印象だ」という言葉をルノワールたちが気に入って「じゃあ、次回以降の展覧会を「印象派展」にしよう!」となったと言われています。これが「印象派」誕生の瞬間です。

そして後にこの時の展覧会を「第一回印象派展」と言いました。

 

モネの『印象・日の出』から言葉が来ているとよく教科書には書かれてますが。

ルイ・ルロワの記事を見ると『印象・日の出』を見て「印象」と言ったのではなくて展覧会の作品全体を通して「印象」という言葉を何度も使っているため、全体として「印象」を感じる展覧会だと思ったように思われます。

 

(余談ですが、最近はインターネットで検索すると、1874年当時のフランスの記事を見ることができました!インターネット時代AI時代様様です。すごい。。)

 

筆者は昔からどうして「ただの印象だ」という感想がでてきたのか、「印象」とはどういう意味なのかいまいちわかりませんでした。

「印象Impression」をロングマンの英英辞典で調べると「誰か、又は何かについてその見た目のせいであなたが抱く意見や感情」

国語辞典でも「人間の心に対象が与える直接的な感じ。また、強く感じて忘れられないこと」

 

つまり、ピサロの霜の感じ、モネの日の出の海景の雰囲気が上手く表現されていて、リアルな絵とは違う感情、感覚を感じるというということなのかもしれません。

この時代はもう写真が登場してきてるので、見た目通りにリアルに描くアカデミー的絵画だけが良いという風潮とは変わってきたのかもしれません。

それなのでルイ・ルロワが一概に印象派を酷評しているというより、アカデミー絵画のような丁寧な描き方とは違う、人物や風景の雰囲気が出ており何か感情を呼び起させる作品たちで、むしろ古典的な古い考えの人たちには理解できないかもね。と言っているようにも思えます。



ここから、印象派のメンバーたちは「印象派展」を第8回まで開きます。

第2回や第3回ではルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』やモネの『散歩、日傘をさす女性』ドガのバレエダンサー、セザンヌ静物画、カイユボットの『パリの通り、雨』などそうそうたる作品が登場します。

 

ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』from wikimediacommons

エドガー・ドガ『ダンサー』from wikimediacommons

クロード・モネ『散歩、日傘をさす女』from wikimediacommons

 

しかし、フランスの古い考えの人たちにはなかなか受け入れてもらえず展覧会自体は赤字続き、モネやルノワールが成功するのはもっと後です。しかも、アメリカで。

アメリカで印象派の大旋風が起きますが、まだこのころは不遇の時代。

 

Report『パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ』

パリのポンピドゥーセンターは近現代芸術作品が揃うヨーロッパ最大の、大型の美術館です。

ここが近々改修工事ということで、重要作品がたくさん来た贅沢な展覧会でした!

ロベール・ドローネー『パリ市』
大きくて見応え抜群の名作

 

キュビズム」と言ったらピカソとブラックの2人で行った芸術運動。

”2次元の絵画を3次元のキューブとしていろんな角度からみた対象を描いた”と学んでいましたが、正直、何が描かれているのかよくわからない。これまで筆者は「キュビズム」にあまり興味がありませんでした。しかし今回のこの企画展で「キュビズム」の偉大さとその後の発展がよくわかりました!



キュビズムの起源

なぜ、キュビズムが始まったのか、きっかけは「近代絵画の父」セザンヌ

この人のいろんな角度から見た(多視点)対象を1枚の絵の中に入れるという描き方。当時の若い画家たちみんなに大きな影響を与え、他にも、元祖ウマヘタのアンリ・ルソーや当時流行った民俗学ブームのアフリカ彫刻。

それらが合わさって始まったのがピカソとブラックのキュビズム。個人的にはアンリ・ルソーの作品も来ていてとっても嬉しかったです!下手すぎて見ていてやっぱり面白い!

ポール・セザンヌ『レスタックの海』(これは本展覧会に展示されてません)
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ピカソとブラックの実験

2人のキュビズムの実験、セザンヌっぽい感じ(セザンヌキュビズム)→もっと細かく細分化してみた(分析的キュビズム)→さらに総合して文字書いたりコラージュとかも取り入れてみた(総合的キュビズム

この2人の実験の経過がわかります。

左からジョルジュ・ブラック『レスタックの高架橋』(セザンヌ的)
ピカソ『ギター奏者』(分析的)ブラック『果物皿とトランプ』(総合的)

 

キュビズムの発展とキュビズム以降

2人の実験は第一次世界大戦とともに終わってしまったけど、キュビズムの大きな流れはどんどん広がっていきます。それがホワン・グラス、アルベール・グレーズ、ジャン・メッツァンジェなどピュトー派といわれる人たちの作品。さらに、集合住宅兼アトリエ「ラ・リューシュ」に集まったシャガールモディリアーニキュビズム的作品、他にも、東欧(ロシア、ウクライナなど)のキュビストたち、そしてキュビズムの家!

左:フェルナン・レジェ『婚礼』右:ロベール・ドローネー『円形、太陽 no.2』
ドローネーはもうほぼ抽象絵画

左:マルク・シャガール 『墓地』右:アメデオ・モディリアーニ 『女性の頭部』

ミハイル・ラリオーノフ『散歩:大通りのヴィーナス』
ロシア立体未来派 キュビズムっぽくて動きがある

今回の企画展はここが非常に手厚いのでキュビズムの大きな流れがどのように発展していったのかがわかります。

便器にサインして展示してアート界に激震をもたらした「現代アートの父」マルセル・デュシャン(アート界は父が多い)含むデュシャン三兄弟もこの流れにいます。

レイモン・デュシャン=ヴィヨン『恋人たちⅡ』
(マルセル・デュシャンの兄)

キュビズムの家(内部):これからの家にはこんな作品(キュビズム)はどうでしょうとという新たな装飾芸術の提案を展覧会で紹介した。
鏡にキュビズム作品が写ってます。
左上あたりにキュビズムの時代のマリーローランサンの作品。

そして、キュビズム以降、現代建築の巨匠ル・コルビジェたちがキュビズムから更に発展させてもっとシンプルに余分な部分を削ぎ落した芸術運動を提唱。これが今私たちが見かけるシンプルなおしゃれアートやデザイナーズ建築となっていきます。

ル・コルビュジェ静物
だいぶシンプルになってきました。そろそろキュビズム卒業。

 

まとめ。

キュビズムをやっていたのはピカソとブラックだけじゃなかった。

○むしろドローネーやグレーズなどピュトー派と言われる人たちがキュビズムを世界に広めた立役者だった。

○当時の画家たち誰もが一度はキュビズムにはまっていたくらいの大流行だった。シャガールモディリアーニ藤田嗣治なんかもやっていたというから驚きました。

○そして、キュビズムがただのイチ芸術運動というだけじゃない、まさに「美の革命」といえる、以後の現代芸術の方向性を指し示す大変大きな流れだったということ。



日本では50年ぶりの大キュビズム展!

キュビズム以前・以後も含めて、歴史を彩った重要作品もたくさん来ており、非常に贅沢な展覧会でした!

オモシロ絵画 inネーデルランド ヤン・ファン・エイク『ヘントの祭壇画』2

ヤン・ファン・エイク『ヘントの祭壇画』(『神秘の子羊の礼拝』)

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前回はヤン・ファン・エイクがどれだけすごいのかをということと本作のそれぞれの中身について見ていきました。

 

本作の各パートのそれぞれのテーマが

閉じた状態:「キリストの誕生」

開いた状態:上段一番両端:「人間の受難」 その隣の両端:「讃美歌の天使たち」

      上段中央 :左から「聖母マリア」「キリスト又は神」「洗礼者ヨハネ

      下段両端の4パート:

       左から「正しき裁き人」「キリストの騎士」「隠修士」「巡礼者」

      下段中央:「神秘の子羊の礼拝」

 

 

今回は開いた状態を見ていきます。

ヤン・ファン・エイクという画家と閉じた状態の内容についてはこちら↓

 

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まず一番上段の両端の裸の人たち

これはもちろんアダムとイブです

イブが知恵の実の果実を持っていて、二人とも体を隠しているのでもう果実を食べた後ということがわかります。イブのおなかが膨らんでいるので妊娠しています。

さらに二人の上にはその二人の子ども「カインとアベル」の話が描かれてます。この話は人類最初の殺人といわれています。

つまり、人類の受難と罪を表しています。

 

上の絵の中央の両翼は、翼はないですが天使たちです。

左翼が「合唱の天使」右翼が「奏楽の天使」

 

そして上段の中央が左から「聖母マリア」「イエス又は神」「洗礼者ヨハネ

これはデイシスといって中央にイエス様 左にマリア様 右に洗礼者ヨハネという伝統的な構図でイコンでもよくこの形式で描かれます。

 

そして、最後にメインの下段

両翼は

左から「正しき裁き人」「キリストの騎士」「隠修士」「巡礼者」

ちなみに「巡礼者」に描かれてる巨人は聖クリストフォロス。イエス様を背負って川を渡ったという伝承があります。

 

そしてメインの中央下段

この部分だけで134.3 × 237.5 cm

何が描かれているかというと

中央に「神秘の子羊」その周囲に天使が並んでおり、子羊の上には聖霊が描かれてます。

左奥の人だかりは「男性の殉教した聖人たち」右奥は「女性の殉教した聖人たち」

手前左は「ユダヤ教やほかの異教の聖者、旧約聖書時代の預言者たち」

手前右は「新約聖書時代以降で左側に12使途 その後ろに歴代のローマ教皇

 

これらの人たちが全員、神秘の子羊(イエス)を礼拝しているという構図です。

ここまでが作品全体の構成です



前回書いた通り、ヤン・ファン・エイクは初期フランドルの代表画家です。初期フランドル絵画の特徴の一つとして細密描写。超絶細かくリアルに描いてます。

この画像だとちょっとわかりづらいのでいくつか拡大してみます。

例えば、歴代ローマ教皇や歌を歌っている天使たち

 

教皇の王冠や装飾品などが本当に細かくてリアルです。顔も一人ひとり違う。本には何が書かれているのか分かるそうです。

讃美歌を歌う天使たち。一人一人の表情がすごいです。しかも、この口の具合からそれぞれがどのパートを歌っているのか分かるそうです。超絶リアル。

メインの子羊も拡大してみてみます

子羊は神に捧げる生贄です。その無垢な子羊の血を捧げることで人間の罪を贖ってくれます。

エス様も自らが死んで血を流すことで人間の罪を贖ったことから、イエス様=子羊となったのです。

 

ところでこの羊、顔変じゃないですか?

実は以前の羊の顔はこうでした(左)

左のほうが羊っぽいです。

 

これは2012年に修復されて普通の羊(左)から変な顔(右)のほうになりました。

普通の羊のほうをよくよく見ると耳が4つあります。(下のほうの耳も変)ここからこの羊は後から誰かが描きなおしたということがわかり、修復すると変な顔の羊が出現したのです。

つまり、ヤン・ファン・エイクは変な顔の羊を描いたのです。もちろんここまでリアルに描けるファン・エイクがミスったわけではなく、わざとこう描きました。

羊は羊でもイエス様としての羊なのです。だから顔が人間っぽく、堂々とした佇まいです。

血がドバドバ流れてるのにビシっと立っています。

 

のちの世代の人が「この羊、顔変じゃね?」と思って、この真意もわからずリアル羊に描きなおしちゃったんじゃないかと。

 

ここまで『ヘントの祭壇画』の全体をみてきました。

それにしても作品全体の構成としても、よくできてるなと本当に驚きです。

開いた状態での大きさが3.4m×4.6m 大きいように思われますが実物をみると描かれている人数の多さなどから、あんなにリアルに描かれている人物も等身大以下で全体の情報量がすごいので、そんなに大きくは感じないかと思います。

そして中央の神秘の子羊の堂々とした風格。

鑑賞者も思わず手を合わせたくなります。

 

だから各国の有力者がみんな欲しがって何度も盗難にあいます。

ナポレオンはフランス革命の頃に強奪して一時期ルーブル美術館で展示されていたり、

ナポレオン失脚後ベルギーに返還されるも、当時の教会が困窮して金策でこの絵をバラバラにに売ってベルリン絵画館に行ったり(のちに帰ってきた)

そうしたら今度は古典芸術が大好きなヒトラーがこれを超絶欲しがってまた強奪してイタリアに隠したり。

ものすごい紆余曲折を経て、現在のベルギーに帰ってきたのです。しかも途中バラバラにされて売られたりもしたのに、ほとんど全部戻ってきて、現在、完璧な状態でベルギーで鑑賞することが出来ます。

そこもものすごい奇跡的なラッキーが重なったおかげ!



厳密には、開いた時の下段一番左翼の「正しき裁き人」は誰かが盗んだまま、帰ってきてません。現在飾られているのは後の人が複製したものです。

盗んだ人、是非返してください!



多くの苦難にあったにもかかわらず、ほとんど完全体で今の私たちも鑑賞することができる。奇跡的な祭壇画です。

 

 

オモシロ絵画 inネーデルランド ヤン・ファン・エイク『ヘントの祭壇画』

ヤン・ファン・エイク『ヘントの祭壇画』

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ヤン・ファン・エイク西洋美術史上非常に重要な初期ネーデルランド(初期フランドル)の画家です。

そしてかなり古い画家です。

1359年頃生まれと言われているのでレオナルド・ダ・ヴィンチの50年以上も前

日本は鎌倉時代が終わり南北朝時代

よくこの人が油絵を発明したと言われますが、厳密には油絵はもう少し前から発明されており、油絵の技術を格段に進展させた人物です。

この人が確立した技術がイタリアに行って初期ルネサンスのマサッチョやその後のレオナルド・ダ・ヴィンチラファエロの代へと引き継がれていくのです。

 

初期フランドル絵画は北方ルネサンス(イタリアより北)とも言われ、この北方ルネサンスの特徴は細密描写です。

手前も遠くもどこもかしこもしっかりと描かれており、どこに目を向けてもピントがしっかりと合っているのです。

例えば、ファン・エイクより後の時代のレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』は空気遠近法という技法を使っています。

人物に目を向けると(ピントを合わせると)遠くの景色はピントが合わず、輪郭がはっきり見えずボヤっとしてる。さらに遠くのほうの空は青みがかっている。

モナ・リザ』背景が青みがかってぼやっとしてる 
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人間の目にはそう見えているので、そういう描き方をしています。

ダ・ヴィンチさんさすがです。



でも、初期フランドル絵画はどこに目を向けても輪郭がビシッと分かり、全部にピントが合っている。この描き方を「細密描写」といいます。つまり超超リアルに描いてるということ。

『ヘントの祭壇画』一部 奥までちゃんと描いてる


ヤン・ファン・エイクはその細密描写が抜群の人です。初期フランドルの画家というと必ずこの人が代表画家として出てきます。

 

ヤン・ファン・エイクの自画像と言われている絵

from wikimediacommons

 

この絵の額には座右の銘が書かれていたそうで、そこには、英語訳「As I Can」(出来る限りやる)

この通り、この人は出来る限りやるとこまでやっちゃったんです。どこもかしこも出来る限り超リアルにやっちゃいました。自画像の表情も頑固一徹で強い意志を感じます。

 

その、とことんやっちゃった集大成が本作『ヘントの祭壇画』

初期フランドル絵画の最高傑作

死ぬまでに見たい西洋美術史の超重要作品

ナポレオンもヒトラーも欲しくて欲しくてしょうがなかったお宝なのです。

 

本作は「多翼祭壇画」といい左右4つのパネルが翼の部分で、中央は上段と下段に分かれてます。ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の回で書いたように、閉じるとその閉じた外側にも絵が描かれています。

大きさは縦3.4m横4.6m

 

それぞれテーマが分かれており

閉じた状態:「キリストの誕生」

開いた状態:上段一番両端:「人間の受難」 その隣の両端:「讃美歌の天使たち」

      上段中央 :左から「聖母マリア」「キリスト又は神」「洗礼者ヨハネ

      下段両端の4パート:

       左から「正しき裁き人」「キリストの騎士」「隠修士」「巡礼者」

      下段中央:「神秘の子羊の礼拝」

 

 

まず、閉じた状態「キリスト誕生」パートから

 

一番上段の4人

左から「預言者ゼカリヤ」「クマエのシビュラ(巫女)」「エリュトライのシビュラ」「預言者ミカ」 この4人は救世主が生まれることを預言した人たち。(クマエとエリュトライとは地名のこと)

 

中央の絵は「受胎告知」シーン

たくさんの画家が描いている超有名シーン

天使ガブリエルがマリア様のところにきて、

天使「おめでとう。あなた神の子を身籠ってますよ~」百合の花(処女の象徴)持ってお祝い

マリア「マジっすか!まだ結婚もしてませんけど!?」

マリア様頭に鳥を乗せてるわけじゃなくてこれは聖霊。神様の意志がそこにあることを示してます。

マリア様本読んでる最中にガブリエルが来たんですね。

 

最後に下段

両脇の人物はスポンサー夫妻。この二人がヤン・ファン・エイクに依頼して描いてもらい教会に収めた。町一番のお金持ち。

その2人がいっぱい祈って現れた幻影が

左:「洗礼者聖ヨハネと右:「福音記者聖ヨハネ

この作品は聖ヨハネ教会に捧げられたものなので守護聖人として描かれています。

 

ここまでが閉じている時の絵です

初期フランドル絵画の特徴、「圧倒的情報量」

もうこれだけでもうなかなかの情報量です(汗)

パネル1枚分だけで十分作品として成り立ちそうです。

 

次回はメインの開いた状態を見ていきます!