ラファエロ・サンティの最高傑作『アテナイの学堂』

前回、AIにラファエロを一言で表すと?という質問に対して、
「調和の天才」「コミュ力お化けの、愛されリア充」「節操のない『パクり上手の世渡りモンスター』」と出ました。
この調和の天才と世渡りモンスターの性格がよく出ているのがなんとこの大作。
『アテナイの学堂』
これは古代ギリシャの偉大な哲学者たちを描いた作品。多くの哲学者がギリシャの首都アテナで議論を繰り広げている場面。
ラファエロというと「聖母の画家」と言われるぐらい聖母をよく描いていますが、聖母以外にもちゃんと大作を沢山描いている王道の大画家です。
当時は、大画家といえば縦横数メートルの巨大作品を数多く残した画家のことです。
いくら作品がすごいからって、数十センチの『モナ・リザ』を残したところで、一流ではない。一流画家は巨大な絵を描いてナンボの世界。
それを表すのがバチカン宮殿(教皇の住居)にある「ラファエロの間」と呼ばれる4つの部屋の壁に描かれた作品群です。
ここの壁画を命じたのは時の教皇ユリウス2世。

あの、ミケランジェロに「システィーナ礼拝堂の天井画やれ」と振り回した教皇です。
この人がラファエロには「この4部屋の壁画やれ」と命じたのです。システィーナ礼拝堂とバチカン宮殿はすぐお隣同士。だから、この2人は同時期にすぐ近くで超大作をそれぞれ製作していたのです。
ラファエロの間はこんな感じ(右側が『アテナイの学堂』)

こんな感じで4面の壁と天井をラファエロプロデュースで制作されてます。
性格難ありなミケランジェロと違い、ラファエロは弟子と一緒に制作しています。
ラファエロはすぐに死んでしまったため、すべてに関われず、一部は構成や構図だけ考えて、あとは弟子が完成させました。
そもそもシスティーナ礼拝堂天井画のように、一人でやっちゃうほうが頭おかしい。
レオナルドもそうですがラファエロも大工房を構えており、ラファエロが自ら描いたのもあれば、主要なところは自分が、絵具などの下準備と背景などは弟子に任せるなど。今の漫画家さんと同じ感じで大仕事をこなすのが普通。あっちがありえない。
このラファエロの間は
「ボルゴの火災の間」「署名の間」「ヘリオドロスの間」「コンスタンティヌスの間 」
それぞれ間ごとに壁4面、さらに天井や下の部分にも作品があります。こんな感じ。


落ち着かない。
これが教皇の居住場所だそうです。日本人にはムリ。
よくもまあこんなにびっしりと描いたものです。
規模はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画ほどではないですが、作品一つ一つはかなりの大作です。
1枚1枚の作品の人物も多くて見ごたえがあります。これだけ見てもラファエロがどれだけすごい大画家なのかがよくわかります。
しかも、このラファエロの間はギリシャ神話と聖書だけじゃなくて、過去の教皇の歴史、キリスト教の教義なんかを踏まえての作品もあるので全部の理解はなかなか大変。
いくつか、見てみましょう。
〇「コンスタンティヌスの間」
ローマ皇帝コンスタンティヌスがローマ皇帝としてキリスト教徒となり、ローマ帝国史上初めてキリスト教を公認した皇帝。
『コンスタンティヌスの寄進状』

コンスタンティヌス帝がローマ教皇に領地を寄進した場面。
奥のほうでローマ皇帝に跪いてます。見事な遠近法による奥行き。ただし、ラファエロは生前あまり着手できず、弟子が完成させました。
〇「ヘリオドロスの間」
『神殿から追放されるへリオドロス』

旧約聖書マカバイ記に登場する当時のシリアの国の宰相へリオドロス。
エルサレム神殿の財宝を盗もうとして、天使に撃退されるシーン。天使に追いやられて、馬に踏まれてます。奥のほうで僧侶が天使に祈ってます。
〇「ボルゴ火災の間」ボルゴの町を襲った大火災を教皇レオ4世が十字を切って火災を鎮めたという軌跡がテーマ。
『ボルゴの火災』

ここもラファエロは構成ぐらいで、弟子が完成させたようです。
〇「署名の間」ここで重要な会議や署名が行われたことから、神学、哲学、法学、詩作 がテーマ。
ラファエロが一番最初に着手した場所のため、一番ラファエロの手が入ってます。
ここに有名な
『アテナイの学堂』(又は『アテナの学堂』)があります。
他の間もそうですが、天井もビッシリ。
『神学』『正義』『哲学』『詩』それぞれのテーマの擬人化。この何かの擬人化も西洋ではよく描かれます。

この人たち、なんとなく見覚えありませんか?
ミケランジェロ システィーナ礼拝堂天井画『デルフォイの巫女』

これはの天井の隅に描かれている巫女。
ラファエロは明らかにこんなのを見ていた可能性があります。すぐお隣でミケ先輩が描いてたら、もちろん気になりますよね。
『パルナッソス』
『アテナイの学堂』のお隣の壁に描かれた作品。

ギリシャに実在する山です。ここにはギリシャの詩芸の女神ムーサがいると言われているため、たまにこの山が芸術家のテーマになります。中央に一緒に描かれた男性は芸術の神アポロン。
バウハウスで教えていた画家のパウル・クレーも変わったパルナッソス山を描いてます。(パルナッソス山こんな山じゃないですが。。。)

ムーサはギリシャ読み。ローマ読みだとミューズ。Musicの語源。
ラファエロのこの絵に描かれているのは、当時の詩人などです。さりげなく「神曲」を書いたルネサンスの詩人ダンテがいます。
この「ラファエロの間」ぜひ、どの作品も拡大して詳細も見てみてください。たくさんありすぎて見ていて飽きません。
では本日のメイン『アテナイの学堂』を見ていきます。

アテナイ(アテナ)はギリシャの首都。
人物をざっと説明すると。こんな感じ(Wikipediaから引用)

1: ゼノン(ストア派)もしくはゼノン(エレア派)
2: エピクロス
3: 不明
4: ボエティウスもしくはアナクシマンドロスもしくはエンペドクレス
5: イブン=ルシュド(ラテン名アヴェロエス)
6: ピタゴラス
7: アルキビアデスもしくはアレクサンドロス大王
8: アンティステネスもしくはクセノポン
9: ヒュパティア
10: アイスキネスもしくはクセノポン
11: パルメニデス
12: ソクラテス
13: ヘラクレイトス
14: プラトン
15: アリストテレス
16: ディオゲネス
17: プロティノス
18: 生徒を引き連れたエウクレイデス(ユークリッド)もしくはアルキメデス
19: ストラボンもしくはゾロアスター
20: プトレマイオス
21: プロトゲネス
R: アペレス
なんとなく聞いたことのある人と、全く知らない人と...
この人たちは(全員ではないですが)古代ギリシャ哲学者たち。
これは古代ギリシャの哲学者たちが議論している絵です。
なぜキリスト教総本山のヴァチカン宮殿にギリシャの哲学者やギリシャ神話が?
実は、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画や壁画にもさりげなくギリシャ神話要素が入ってます。
それが先ほどの『デルフォイの巫女』↑
デルフォイの巫女とはギリシャの神々の神託を下す巫女です。デルフォイの神託はギリシャ神話の中にも書かれています。
システィーナ礼拝堂は教皇のプライベートビーチならぬプライベート礼拝堂。
ギリシャの神話・哲学要素がちょこちょこ混ざってます。
ラファエロの過去のブログで、ルネサンスとは”中世キリスト教文化と古代ギリシャ・ローマ文化の融合”と書きました。
それはイエス様や聖母マリア様が平面的なイコン絵画から古代ギリシャローマ芸術のようにリアルで立体的になってきたと言いましたが、ここまでしっかりとギリシャ要素をそのまま描きだしたのは、この15世紀のルネサンス時代が初めてです。
これまでは古代ギリシャローマ文化の融合といっても、描いていたのは大体キリスト教の絵です。
ではなぜ、描き始めたのか?
それは、この15世紀に「新プラトン主義」という思想や「ヘルメスの教義」というのが流行ったからです。
きっかけは、1430年代のフィレンツェ公会議と1453年ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の滅亡です。
ちょっとだけ歴史の話にお付き合いください。
時代は紀元前から始まる古代ローマ帝国までさかのぼります。
最大勢力圏イギリスからトルコ・エジプト北部までの巨大帝国だったローマ帝国は、時代とともに東西へ分裂します。

それとともにキリスト教も分裂。西ローマ帝国はイタリア周辺地域、東ローマ帝国はギリシャ・トルコ周辺地域です。そうやってだんだんとキリスト教もローマやコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)などいくつかの教会に分裂します。(西ローマ帝国は、その後すぐに分裂崩壊)
東ローマ帝国はイスラム圏のオスマン帝国に徐々に侵略され、1430年代に始まった「フィレンツェ公会議」の時に、フィレンツェに来た東ローマ帝国の人間が西側に「助けて~十字軍お願い~」と訴えます。
公会議とは、分裂した教会の有力者たちが一堂に会して様々な案件について議論する場です。行われた場所名で〇〇公会議といいます(G7やG8の洞爺湖サミットみたいな感じ)

でも、助けて~の願いかなわず、ついに1453年に東ローマ帝国は滅亡します。
この2つの時期に、東ローマ帝国にいた多くの有力者たちが、西のイタリアのほうまで逃げ延びてきたのです。そのなかには多くの学者、神学者たちが。
西側では忘れ去られた古代ギリシャ哲学や神学の教義が貴重な書物とともにやってきました。
フィレンツェの最大権力者メディチ家の当時の当主コジモ・デ・メディチはこれらの教義、特に、プラトン哲学に大いに感銘して、「プラトン・アカデミー」を作ります。
そして、「新プラトン主義」や「ヘルメスの教義」と当時のイタリアにあったキリスト教神学を融合させようとしました。
アカデミーにはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリがいました。
だからこの人たちも含め当時の画家はギリシャ神話や哲学を学んでいました。
特にボッティチェリは古代ギリシャ哲学思想とキリスト教の融合を芸術で現した代表。ラファエロはこれら大先輩方の後継者。
このような背景があって、時の教皇もキリスト教と古代ギリシャ哲学の融合を目的にバチカン宮殿に『パルナッソス山』や『アテナイの学堂』を描いたのです。
特に『アテナイの学堂』のある「署名の間」はキリスト教神学と古代ギリシャ哲学の融合をテーマにした作品ばかり。最初に着手したし、力も入ります。
(ちなみに、「新プラトン主義」と「ヘルメスの教義」とは。それぞれ数冊本ができるほど難解なので、一言ずつ。
「新プラトン主義」は”魂は神(一者)から流出し、再び神へ還る”という理論
「ヘルメスの教義」はヘルメス・トリスメギストスが残したとされる錬金術、占星術などを取り入れた哲学的・神秘主義的な考え方です。 )
本作の詳細にまた行けませんでした。。。続きは次回。
All Pictures from Wikimediacommons














































