今回はカラヴァッジオ後半です
前回はこちら
前述した通りカラヴァッジオ天晴な犯罪歴にもかかわらず、超VIPパトロンの枢機卿たちにもみ消してもらったりしてすぐに牢屋を出してもらえてました。(当時のキリスト教の腐敗がよくわかります)
そのせいでカラヴァッジオが調子に乗って犯罪を繰り返していたのか。とにかく事件を起こしまくり。
記録が残っているものをいくつかを羅列してみます
1600年:パトロンのデルモンテ枢機卿の客で貴族を棍棒で殴打
1603年:ジョバンニという画家を侮蔑する詩を書いて名誉棄損で訴えられる
1604年5月~10月:違法な武器所持、市警への侮蔑の罪で数回逮捕、居酒屋のウェイターにアーティチョークの皿を投げつける
1605年:公証人マリアーノに重傷を負わす→一旦ジェノヴァに逃亡
帰ってきてから、家賃滞納して大家に訴えられ腹いせに大家宅に石を投げ込む
そしてついに
1606年:トマソーニという半グレと口論・乱闘(決闘?)の末、殺害
トマソーニは裕福なスペイン系の家でした。
カラヴァッジオのパトロンはフランス系であったのもあり政治的なものも絡んで、今回はさすがに殺人ということもありもみ消してもらえなかった。相手も悪かった。
そして、殺人罪で斬首刑を宣告、懸賞金までかかりました。
懸賞金目当てで色んなワルから襲われるため、ローマにいられなくなり各地を転々と逃亡。
そして逃亡先で絵を描いて逃亡資金を稼ぐという壮絶な逃亡劇を繰り広げます。
カラヴァッジオの逃亡遍歴まで分かっています。
さらにこの人のすごいのは、逃亡先で静かにしてればいいのに匿ってもらった先でも暴力事件を起こして、さらに恨みを買い、どんどん敵を作り、どんどん追われます。
行く先々でもめ事を起こし、逃げては描き、描いては逃げ。。
だいぶメンタルも崩壊してきたのか。常に剣を持ちながら寝ていたようです。
逃げながらのためか描く時間が無くなってきたのか、だいぶ雑な作品もあります。それでもこれだけのものがサッサッサッと描けるのがカラヴァッジオがとんでもなく上手いところ。
〇『慈悲の七つの行い』
ナポリに逃げた頃の作品。テネブリズム(暗闇主義)バリバリで真っ暗。天使の体勢どうなってるんだ?
この作品のほかに『ロザリオの聖母』『キリストの鞭打ち』などを短期間で描いてナポリ一有名な画家になって逃亡資金を稼ぎます。
〇『アロフ・ド・ヴィニャクールと小姓の肖像』
次に、マルタ島へ逃げます。そこで「マルタ騎士団」へ身柄を保護してもらいに行きます。当時の騎士団長の肖像画。お礼代わりに絵を描いてます。
しかしここの団員とも喧嘩して大怪我を負わせて、居られなくなり、逃亡。
マルタ騎士団も敵に回します。
〇『聖ルチアの埋葬』
シチリア島逃亡時の作品。背景を満足に描く時間や絵の具の余裕がなかったのか?なんとなく背景が雑にも思えます。
そして、敵に襲われ重傷を負います。
ついに、「もう無理です。。。出頭してローマ戻ります。反省してます。特赦出してもらえませんか。。。」と枢機卿に手紙を出します。
手紙と共に送ったのがこの作品
この絵の首は自分。自画像です。文字通り「首を差し出します」
ダヴィデとゴリアテの旧約聖書の話を絡めた反省してますアピールの作品。
しっかりした画力で二重の意味を持たせ、この絵を送るとは当時の知的センスは高いです
(今の日本人でこんなことできる人いるんだろうか?)
反省してます。許してください。とローマにこれを送ります。
枢機卿たちが頑張ってくれて「特赦出るっぽいよ!」と手紙をもらい
何とかローマに戻ろうとしますが重症の傷が癒えず(まともに治療できたかどうか)熱病でフラフラ。
ローマに辿り着けず、最後は野垂れ死ぬという結末に。
まるで物語を読んでるかのような壮絶なお話。
こんなドラマティックな話はもちろん映画化されてます。
何百年も後だとしてもこれだけの犯罪歴の人がお札になるくらいだから
罪を鑑みても偉大な画家なんでしょうね。
なぜ、こんなに癇癪もちで暴力的なのか。羨ましいくらいの才能を持ってるんだから大人しく絵を描いてれば枢機卿に重宝されて幸せな人生を送れたはずなのに。。。
2010年にあるイタリアの教会で人骨が発見されました。
これがカラヴァッジオの骨で間違いないだろうと考えられ、科学鑑定が行われました。
すると、骨に高濃度の鉛が検出。この人は「鉛中毒」で亡くなった可能性が高いとなりました。
当時の絵具には鉛が多く含まれており、鉛中毒は画家の職業病でした。
鉛中毒の症状の中には精神的な疾患もあり、もし、この骨がカラヴァッジオならあれだけの暴力的な性格もこれが影響していたのかもしれない。という説もあります。
それにしても壮絶な画家人生
カラヴァッジオの人生の明暗対比