前回はモローの「出現」について
主人公サロメの背景、物語と絵の違いについて書きました
では、なぜモローはこのような表現の「サロメ」を描いたのだろう?
モローは象徴主義の画家です
象徴主義とは
「目には見えない人間の内面や観念などを象徴的に表現すること」とした芸術運動です
人間の苦悩や不安、運命、精神性や夢想などの形のないものを
神話や文学のモチーフを用いて象徴的に描いていることに特徴があります
象徴主義の少し前に興ったラファエル前派では文学や聖書の一場面を描いており
そこからさらに主人公たちの内面をモローの独自の解釈を含めて
描いたのではと思います
そもそもサロメは母に言われるがままにヨハネの首を所望したのだから
ヨハネを憎んではいないはず
だから、モローは自身の別の解釈を含めたのです
その理由に
「出現」のサロメはヨハネを指差して、まるで挑むようにヨハネを睨んでいます
首だけのヨハネも何かを訴えているようにも思えます
まるで二人が対峙しているような
ちなみに、
当時のサロメを題材にした戯曲では
サロメがヨハネを愛した末に首を望んだという内容になっているため
挿絵を描いたビアズリーは
その内容を忠実に描いています
私がモローの作品が好きなのはやはり
聖書や神話の内容を題材に独自の解釈を含め
象徴的かつ幻想的に描いているからです
しかも、どの作品もとても構図や描き方がかっこいい!!
かくいう私も大昔そんな象徴主義的な絵を描いたことがあったな。。。
ファイナルファンタジーのキャラクターデザインをした天野喜孝さんが
モローとミュシャをよく模写したと言っていたそうで
とても納得!
天野さんの描く世界観もすごく幻想的でかっこいいです!
「出現」はモロー作品の中でも独自の解釈をふんだんに含めた作品なのです
1枚の絵画の中に新たな物語が展開しているようで
観ていてとても面白いのです
機会があればぜひ本物を見に行ってみてください
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました(^^)