hiro_ame’s blog

美術マニアで科学と宗教を学ぶのが大好きな絵描き。

印象派とは ①第一回印象派展

印象派とは1800年代後半に若い画家たちが立ち上げた美術サークルです。

 

主なメンバーはカミーユピサロクロード・モネオーギュスト・ルノワールエドガー・ドガベルト・モリゾアルフレッド・シスレーポール・セザンヌ

当時画家として成功するためには美術アカデミーで勉強して、アカデミーが主催する展覧会(サロン)に出品して認められて賞をとることが登竜門となっていました。

アカデミーで認められるには、「歴史画」といって聖書や神話の話をテーマにして、筆跡が残らない非常に綺麗なプロポーションの理想的な人物を描くことが「良い」とされていました。

 

例えば、こんな絵

アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生

印象派と同時期の作品。この作品はサロンで大絶賛されました。

from wikimediacommons



それ以外の他のテーマや筆跡が少しでも残ってるような絵は格式が劣っていて、未完成だと言われていたのです。

 

ところが、印象派ができる少し前から、このサロンの風潮に「それはおかしいんじゃないか」と言い出す人が増えてきてました。もっと今のありのままの人の暮らしや、時代の風潮を描いていこうよなど、「歴史画」至上主義に対立する作品が出始めました。

それが、写実主義ロマン主義バルビゾン派、イギリスではラファエロ前派オーストリアではウィーン分離派など印象派以前も以降もアカデミーに反旗を翻す若者が〇〇派を立ち上げます。

印象派も反アカデミー派の一派でした。

 

反アカデミー派の先輩のエドゥアール・マネはアカデミーに殴りこむような作品をサロンに出して、印象派メンバーに慕われたり、ギュスターヴ・クールベはサロンに認められなくても自分で展覧会を開いたりして、活動するのをみて、自分たちも先輩たちに続けとばかりに、自分たちの独自の画風で自分たちで展覧会を開きます。

 

その時出した作品がモネ『印象・日の出』やピサロ『白い霜』など

from wikimediacommons

 

そうしたら、見に来てくれたルイ・ルロワという美術評論家が、新聞にこの展覧会の様子を記事にしてくれました。

その内容が「描きかけの壁紙よりも酷い、こんなのただの印象だけだ」

そりゃそうですよね。カバネルのような絵が「正解」なのに、これらの絵は誰が見たって製作途中の完成してないひどい絵です。

ピサロの『白い霜』は「パレットの削りかすをまいただけ」

油絵をやったことがない人にはちょっと想像しにくいかもしれませんが、白い絵の具が固まったカス(消しゴムカスみたいなの)をキャンバスに撒いただけと言っています。油絵をやっている筆者は「確かにカスっぽい。。」と思いました。

個人的には結構的を得た感想してるんだなという印象です。

 

印象派どころか後の時代のピカソ抽象絵画なんかも知ってる現代人からしたらよくわからない感覚かもしれませんが、最初に言ったようにカバネルの絵が「正解」だとして見ると、ルイ・ルロワの批判は結構的を得てます。

 

一般的には、この酷評記事の「ただの印象だ」という言葉をルノワールたちが気に入って「じゃあ、次回以降の展覧会を「印象派展」にしよう!」となったと言われています。これが「印象派」誕生の瞬間です。

そして後にこの時の展覧会を「第一回印象派展」と言いました。

 

モネの『印象・日の出』から言葉が来ているとよく教科書には書かれてますが。

ルイ・ルロワの記事を見ると『印象・日の出』を見て「印象」と言ったのではなくて展覧会の作品全体を通して「印象」という言葉を何度も使っているため、全体として「印象」を感じる展覧会だと思ったように思われます。

 

(余談ですが、最近はインターネットで検索すると、1874年当時のフランスの記事を見ることができました!インターネット時代AI時代様様です。すごい。。)

 

筆者は昔からどうして「ただの印象だ」という感想がでてきたのか、「印象」とはどういう意味なのかいまいちわかりませんでした。

「印象Impression」をロングマンの英英辞典で調べると「誰か、又は何かについてその見た目のせいであなたが抱く意見や感情」

国語辞典でも「人間の心に対象が与える直接的な感じ。また、強く感じて忘れられないこと」

 

つまり、ピサロの霜の感じ、モネの日の出の海景の雰囲気が上手く表現されていて、リアルな絵とは違う感情、感覚を感じるというということなのかもしれません。

この時代はもう写真が登場してきてるので、見た目通りにリアルに描くアカデミー的絵画だけが良いという風潮とは変わってきたのかもしれません。

それなのでルイ・ルロワが一概に印象派を酷評しているというより、アカデミー絵画のような丁寧な描き方とは違う、人物や風景の雰囲気が出ており何か感情を呼び起させる作品たちで、むしろ古典的な古い考えの人たちには理解できないかもね。と言っているようにも思えます。



ここから、印象派のメンバーたちは「印象派展」を第8回まで開きます。

第2回や第3回ではルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』やモネの『散歩、日傘をさす女性』ドガのバレエダンサー、セザンヌ静物画、カイユボットの『パリの通り、雨』などそうそうたる作品が登場します。

 

ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』from wikimediacommons

エドガー・ドガ『ダンサー』from wikimediacommons

クロード・モネ『散歩、日傘をさす女』from wikimediacommons

 

しかし、フランスの古い考えの人たちにはなかなか受け入れてもらえず展覧会自体は赤字続き、モネやルノワールが成功するのはもっと後です。しかも、アメリカで。

アメリカで印象派の大旋風が起きますが、まだこのころは不遇の時代。