hiro_ame’s blog

美術マニアで科学と宗教を学ぶのが大好きな絵描き。

ウィリアム・モリスの偉大さ2

ウィリアム・モリス「イチゴ泥棒」

from wikimediacommons

 

ウィリアム・モリスは「アーツ・アンド・クラフト運動」を扇動して、「モダンデザインの父」と言われました。

モリスは先輩ロセッティの勧めもあって最初は画家として油絵を描いていましたが、才能が無いと早々にあきらめ、デザインでやっていく決意の下「モリス商会」を設立しました。

そこで、主にステンドグラスや壁紙、家具などインテリアのデザインを始めます。

「アーツ・アンド・クラフト運動」とは芸術(アート)と工芸(クラフト)の融合です。

こう書くと難しく聞こえるかもしれませんが、つまりはオシャレ家具やオシャレ雑貨のデザインです。

当時のイギリスは産業革命全盛期で工場によって商品が安価で大量生産された時代。

オシャレとは無縁の誰でもに受け入れられるデザインばかり。

モリスはもともと中世や昔のものが大好きで、機械化される前の中世の職人たちの手仕事に立ち返り、生活と芸術を一体化させようという主張のもとモリス商会で活動を始めました。

 

これは今でもありますね。工場で薄利多売を売りにしている会社から個人でデザイン性の高いものを販売している人まで。

 

このオシャレ家具や雑貨を復興させたのがウィリアム・モリスなのです。20世紀以降のモダンデザインの考え方のルーツはここなのです。

今でもインテリアコーディネーターの試験でモリスが出題されるそうですよ。

日本では柳宗悦がこの「アーツ・アンド・クラフト運動」に共感して、日本の日用品の中に美を見出すという「民藝運動」を始めます。地方でよく見る民藝品のことです。「民藝」という言葉もこの人の造語だったそうです。

 

「イチゴ泥棒」はどこかでみたことがあるデザインではないでしょうか?これはモリスがデザインした壁紙です。可愛い小鳥がイチゴを狙っています。他にもモリスデザインの壁紙は有名で、いまでもよく見ます。

 

こんな感じで仕事はバリバリですが、私生活はというと。。。

モリスと奥さんのジェーンの新居「レッド・ハウス」はロンドンのモリス商会から遠かったため、ロンドン市内に引っ越します。

そのためロセッティとジェーンは更に会いやすくなり不倫継続。ロンドンの社交界でもどんどん噂になっていきます。

これはマズいと思い、モリスはコッツウォルズ地方にロセッティと共同で(ほとんどモリスがお金出して)邸宅を借ります。「ロセッティ先輩、逢瀬はここでやってください、僕は夏の間は(昔から興味のある)アイスランド神話の研究のため、アイスランドに旅行に行くので」とロセッティに直には言ってないでしょうが、邸宅を借りたのは噂を沈静化するこんな意味合いがあったようです。

ロセッティは尊敬する先輩で師匠なのでなかなか言えなかったのか。。

 

ロセッティはこの時期「プロセルピナ」を描きます。

詳しい経緯は以下のブログにあります

hiro-ame.hatenablog.com




ジェーンは裕福な生活を送り、ここまでしてくれたモリスに対してどう思っていたのか。

「モリスのことを男として愛したことは一度もないわ」と言っていたそうです。

かといってロセッティのことを愛していたのかはまた何とも言えず。。。

モリスからするとなんともやりきれない。。。

 

しかし、仕事はバリバリ。

モリスはさらに「ケルムスコット・プレス」という出版社を設立します。

モリスは詩人としてもロンドンでも有名で、物語も書いていました。

ここでも「アーツ・アンド・クラフト運動」の考えがあります。

モリスが文を書いて挿絵を親友で画家のバーン=ジョーンズが描き、文字も独自にデザイン装飾したものを作りました。紙やインクや印刷にもこだわりました。

晩年のモリス(右)とバーン=ジョーンズ(左)from wikimediacommons

そうして芸術性も非常に高い本を出版しました。非常にコストがかかっているため富裕層しか買えなかったそうです。

本好きの筆者としては当時の実物を見てみたいなぁと夢見ています。

小説「The Wood Beyond the World」装飾デザインがモリス、挿絵がバーン=ジョーンズ とても豪華です from wikimediacommons

 

このようにモリスの後世への影響は絶大です。当時からモリスは非常に影響力のある文化人として有名だったそうです。

筆者は先日100円均一のお店でもモリスのデザイン雑貨を見ました。今でも色褪せないオシャレデザイン。あなたもモリス作品に気づかずに触れているかも。